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2011年7月5日火曜日

オープンリーダーシップについて

 寒いと思っていた日々から、あっという間に暑い日々が続いている。その間には、あの東日本巨大地震があった。想定できないと政府は発表しているが、そもそも想定できなかったのではなく、する気がなかったのではないかという気がする。制度や法律が時代に追いつこうとすればするほど、旧来前の考え方や手法で解決をしようとするので、その問題も問題解決も適切に処理できなくなってきている。文明のパラダイムシフトが必要だと、以前から声高に叫ばれてきたが、3.11でまさに現実のものになってしまった。

 大震災では首相のリーダーシップに批判が集まった。そもそも、この大震災で起きたことは、社会的な硬直状態もあり、これまでの防災や安心、安全からも期待した効果は発揮できなかった。やはり、ここにも、目に見えない大きな時代の綻びがあり、目に見えない危険は何も放射能だけではないことが見て取れる。社会体制とそれを遂行すべき地位の人達が、機能していないのである。これは、悪意のある怠慢でないので、余計に見えにくく、その根は深いとも言える。しっかりと可視化して、軌道修正をしないと、社会の不利益は全体に及ぶので、放射能よりも恐ろしい結果を引き起こすことになる。

 少し考えれば、何かおかしい。実感としている感性が失われた人には理解できないかもしれない、社会システムに巣くう病巣は、確実にコミュニティを蝕んでいる。安全を守るための機構が、形骸化して、誰もそんなものは必要ないと解っていても、何も知らないふりをしたり、自分だけが何とかなれば良いという個人至上主義的な都合の良い考え方が、我々からモラルを持った知性を蝕んでいる。知性を還元することを生業にする人達が、本来の職務を放棄しているので、蹂躙されて黙殺されている現状を改革することさえ出来ない。

 そもそも、現代のリーダーシップとは、どこかの首相の考えているような強い指導力とパフォーマンスではない。現代は複雑化し、人が流動的に思考をストップさせれれている。自主性やアントレプレナーシップ(起業家的精神)の受難の時代になってしまった。そこで、無理矢理、復権などしても、機能はしない。今必要なのは、現代にふさわしい新しいリーダーシップである。それは、オープンリーダーシップと呼ばれるようなものであると私は考える。その定義は以下の通りである。

オープン・リーダーシップにおける新しいルールについて
原著「Open Leadership」には、透明性の時代におけるリーダーシップのルールとして、次の5つが提唱されている。

・ 顧客や社員の持つパワーを尊重する
・絶えず情報を共有して信頼関係を築く
・好奇心を持ち、謙虚になる
・オープンであること責任を持たせる
・失敗を許す

 詳細な定義は割愛するが、これまでの大型戦艦のような企業(エンタープライズ)でなく、クイックで、コンパクトな帆船(ヨット)のように新しい風をいろいろ受けながら、自分の行きたい方向性に向かう意思と操縦技術が必要で、更に必要な事は、自ら目的地を見据えながら、状況を判断していく力であり、それに沿った結果(成果)を残すことである。現実的に、合理的に、科学的に考える力がより、求められている時代に突入している。我々は、まさに、理論と実践を融合して、新たな挑戦をしなくてはいけないのではないだろうか。これからは、愛と勇気と理性が必要だ。そう思うと、あるミュージシャンの音が、頭の中に鳴り響く。

創造し続けようとしたら、変化しかない。
人生は、創造であり、挑戦しかありえない。
by Miles Dewey Davis