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2011年10月25日火曜日

Stay hungry, Stay foolish

 10月5日15:00頃、アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏が逝去された。彼の偉業は、数々あれど、やはり挑戦する気持ち、そしてやり遂げる喜び、仲間との共有など、起業のいろはが大きいと思う。時代が変われど、この根本となる不変の原理は変わらない。その人生は、ドラマチックで、つまらないテレビドラマよりも遙かに興味深い。2005年6月12日、スタンフォード大学での卒業式でのスピーチは、本当に感動的で、彼への追悼も含め何度も見たが、奮い立たせる何かがある内容であった。
ほかにも、内村鑑三の「後世への最大遺物」 やJ・F・ケネディの大統領就任演説に並ぶ名演だと思う。

 そこで、話されたメッセージは、「Stay hungry, Stay foolish」(貪欲であれ、愚直であれ)である。21世紀の閉塞感は、これに反して、利口で効率的なことを求め、楽してポンのようなことを目指しているくせに、神妙な面持ちでさもありなんということを語る輩が指導的な立場を多く占めてしまったからだと思う。何も成果をもたらさず、ただ減点主義のシステムを大人しくしたたかに成し遂げた人々に、時代を切り開く素養は、これっぽっちも無い。リスクを見極め、果敢に攻める姿勢を失った組織は、ビジネスにおいても、スポーツにおいても、結果が出ていてもいなくても、何の価値もない。それは、責任の先送りで、システムのぶら下がりであり、人としてもあまり美しくないように映る。

 スティーブ・ジョブズが残した功績は、単なるアップル製品だけではない。「Stay hungry, Stay foolish」 は、ヒップ-文化の影響を超えて普遍的に我々に、生き方を示す。それはもう、宗教的な教義と同等の価値を持つメッセージだ。彼のスピーチにもあるが、もし今日が自分の人生の最後の日であると考えるならば、これからやることは、その最後に日に値するか?もしも、違うのであれば、生活の何かを変える時だと言っている。まさに、我々は、ただ何となく無為に時間を過ごしがちであるので、毎朝、自分自身を見つめ、充実した活動がある日々を過ごすべきである。こういった故事もある「虎は死して皮を残し人は死して名を残す」 。人びとは、何を遺すのか。その考え方、生き方そのものである。結果はその一部、彩りにしか過ぎない。

 ビジネスでもスポーツでも、現実に起こる結果、勝敗に左右されることが多い。そのため、どうすれば、勝てるか、負けないかなどの視点で、諸々のメソッドやシステムが考えられてきた。ややもすれば、この結果至上に対して、絶対に負けないアプローチかなのかが取られる。しかし、ここには大きな落とし穴がある。それは、なぜ、そうするのか、勝つことを求めるのか?ということである。これらは、無論、生物として、安全や安心を得るための盲目的な本能であろう。 普通に考えたら、生き物として本能に従うのであれば、誰が何と言おうと楽してポンの安心、安全で良い。しかし、生き物として、何らかの価値を求めるとすると、この本能と対峙しなくてはならない。そこに価値を見いだすか、そうで無いかは、各自の言葉と言うよりも、その生き方にに刻まれる。

Stay hungry, Stay foolish

まさに、その言葉通りに生きたスティーブジョブズは、英雄である。






2011年7月5日火曜日

オープンリーダーシップについて

 寒いと思っていた日々から、あっという間に暑い日々が続いている。その間には、あの東日本巨大地震があった。想定できないと政府は発表しているが、そもそも想定できなかったのではなく、する気がなかったのではないかという気がする。制度や法律が時代に追いつこうとすればするほど、旧来前の考え方や手法で解決をしようとするので、その問題も問題解決も適切に処理できなくなってきている。文明のパラダイムシフトが必要だと、以前から声高に叫ばれてきたが、3.11でまさに現実のものになってしまった。

 大震災では首相のリーダーシップに批判が集まった。そもそも、この大震災で起きたことは、社会的な硬直状態もあり、これまでの防災や安心、安全からも期待した効果は発揮できなかった。やはり、ここにも、目に見えない大きな時代の綻びがあり、目に見えない危険は何も放射能だけではないことが見て取れる。社会体制とそれを遂行すべき地位の人達が、機能していないのである。これは、悪意のある怠慢でないので、余計に見えにくく、その根は深いとも言える。しっかりと可視化して、軌道修正をしないと、社会の不利益は全体に及ぶので、放射能よりも恐ろしい結果を引き起こすことになる。

 少し考えれば、何かおかしい。実感としている感性が失われた人には理解できないかもしれない、社会システムに巣くう病巣は、確実にコミュニティを蝕んでいる。安全を守るための機構が、形骸化して、誰もそんなものは必要ないと解っていても、何も知らないふりをしたり、自分だけが何とかなれば良いという個人至上主義的な都合の良い考え方が、我々からモラルを持った知性を蝕んでいる。知性を還元することを生業にする人達が、本来の職務を放棄しているので、蹂躙されて黙殺されている現状を改革することさえ出来ない。

 そもそも、現代のリーダーシップとは、どこかの首相の考えているような強い指導力とパフォーマンスではない。現代は複雑化し、人が流動的に思考をストップさせれれている。自主性やアントレプレナーシップ(起業家的精神)の受難の時代になってしまった。そこで、無理矢理、復権などしても、機能はしない。今必要なのは、現代にふさわしい新しいリーダーシップである。それは、オープンリーダーシップと呼ばれるようなものであると私は考える。その定義は以下の通りである。

オープン・リーダーシップにおける新しいルールについて
原著「Open Leadership」には、透明性の時代におけるリーダーシップのルールとして、次の5つが提唱されている。

・ 顧客や社員の持つパワーを尊重する
・絶えず情報を共有して信頼関係を築く
・好奇心を持ち、謙虚になる
・オープンであること責任を持たせる
・失敗を許す

 詳細な定義は割愛するが、これまでの大型戦艦のような企業(エンタープライズ)でなく、クイックで、コンパクトな帆船(ヨット)のように新しい風をいろいろ受けながら、自分の行きたい方向性に向かう意思と操縦技術が必要で、更に必要な事は、自ら目的地を見据えながら、状況を判断していく力であり、それに沿った結果(成果)を残すことである。現実的に、合理的に、科学的に考える力がより、求められている時代に突入している。我々は、まさに、理論と実践を融合して、新たな挑戦をしなくてはいけないのではないだろうか。これからは、愛と勇気と理性が必要だ。そう思うと、あるミュージシャンの音が、頭の中に鳴り響く。

創造し続けようとしたら、変化しかない。
人生は、創造であり、挑戦しかありえない。
by Miles Dewey Davis

2011年1月4日火曜日

2011年 今年のテーマは「関係性」

 21世紀に入り、10年を迎えた。新たな100年の最初の10年は、これまでの20世紀に起きたことからlこれからの未来に向けての90年について、方向性を見いだす必要がある。もちろん、情報という得体のしれない、カタチとして存在するというよりも、認識することにより存在している実体と取り組んで行かなくてはならない。その際に、どこまでがこれまでの永遠とも言える手法であり、どこからが、新たに入れ替えて行かなくてはならないのか、この辺がひとつの焦点になりうる。

 温故知新とは、学ぶ発見だ。「人間は、創造できない、発見するのみだ。」という言葉がある。確かに、人は学び、知り、活用して、進歩を体現してきた。時代の変革期でありながら、何がどう変わっているのか、知覚できず、ただいたずらに焦燥感だけが煽られているので、どうしても功利実利主義が解りやすいという結論に至る人も多いが、こういう時こそ、しっかりと観察し、考え、判断する必要がある。

 例えば、科学技術の進歩のように解りやすい成果やその恩恵を求める時は、その価値を数値化したり、可視化することで実感することができる。この場合は、定点観測のように、こちら側の視点を自由に移動しても安定感がある。しかし、情報のように不確実性で根拠が不明瞭な実体を扱う場合は、その定義と視点の自由化の二つの同時活動が強いられる。

 この2つの点を結びつける「関係」を、これから注視したいと考える。価値の多様化による流動性が強い場合は、次々に起こりうる事をしっかりと見極める必要がある。この見極めにくい状況をしっかりと観察し、価値自体の掘り下げをおこなうのでなく、それぞれの価値の関係性により、新たな価値を見いだす姿勢が必要だ。「関係性」とは、そこにあるものだけでなく、見えないものを想定して考える力がポイントになる。

 煩雑な作業になることを覚悟し、しっかり自分自身の頭で考え、自分の解答を、ひとつひとつに出していくしかない。もはや、「答えは風の中にはない」。そういう時代を我々は生きているのではないだろうか。


2011年、本年もよろしくお願い申し上げます。