ページ

2010年9月17日金曜日

現代の情報量が、今の経済を停滞させているばかりか意識も・・・

 現代ビジネスでは、創造性が求められている。時代がより多様化し、スピードが速いために、頻度も求められる。また、ビジネスの中での、必要な基本と時代に合わせたアタッチメント部分が、情報というカタチで氾濫している。何が新しくて、古いのか解りにくいようなカタチで、ものすごい量で次から次へと、モノが氾濫して、選べなくなってしまう。
 
 液晶テレビだ、地デジだ、ブルーディスクだと宣伝広告され、3Dテレビも投入されるが、消費者側でも何が欲しいのわからなくなっている。人間は、数種類の中から好きなものを選ぶが、ある範囲を超えると判断を停止してしまう。ある意味で、経済が停滞しているのは、1つのモノに対して情報量がその10倍を超えているから、ユーザー側が判断停止になり、モノを購入しなくなったのではないだろうか。

 以前、スポーツカー所有はステイタスであり、その購入を原動力に変えて日々の活動を加速させてきた人たちが、最近は元気がない。社会の停滞感に包み込まれて、目標意識を高く保てないのである。そればかりか、漠然とした不安があり、活動意欲を阻害している。現代社会は、根本のところで、そういう状況に突入してしまった。目前の対処だけでは、根本的には対応できないだろう。と言うか、そのようにいくら、頑張っても報われない。

 人は「意識」の動物だ。高く、遠くへ、目標を投げ出して、早く、合理的に、正確に、目的地に到達することに意識をリセットする必要がある。社会の「停滞感」に取り込まれることを避けて、自分自身で意識的に考え、小さく、細かく、機能的に、目的達成する喜びを創造することが肝要である。たとえ、経済が、政治が、社会が、低迷していようとも、我々の意識を停滞させてしまってはいけない。ここから、どのような意識を保つかが、我々の真の価値の試されるところであろう。同志よ、周囲のため息に惑わされることなく、道標の元で合流しようではないか。
 

2010年9月1日水曜日

命短し、学べよ青年 ~出版について~

 最近、内田樹さんのブログで「出版バブルのバルブを閉めるのは作者しかいない」ということで、ちょっとした物議を醸し出したようだ。確かに、最近の出版ラッシュによる本の質の低下は眉をひそめるようなものが多いのは事実だ。以前好きなアーティストが、本を出版するのが夢だというような事を書いていて、そうか「本」を一冊書くというのは男子の本懐なのだと印象づけられたことがあった。

 以前、1冊出版社から本を出したことがある。その時は大学の中で仕事をしていた。ほかにも、いろいろな出版企画があり、何だか怪しいなと思うような企画もいくつかあったような気がする。でも、実際の本を出版すると言うことは大変な事で、とても編集者とサポートしていただく方々がいないと自分の「本」が社会に出ることはないのだなと実感した。よく、家族や出版社の人へ、謝意を示すあとがきが等があるが、なるほどそんな気持ちのなるものなのだとよく解る。

 オフィスにいるといろいろな売り込みがあり、中にはややこしい話があり、本を出版しませんかというのもある。誘い文句はこうだ「自社のサービスが売れますよ。」。このご時世、そうかそれならば、本を書くのは大変だけど、嫌いじゃないからチャレンジしてみるかと思い直し、その後の話を聞くことにする。すると、私は忙しいから、後日他のライターが来て話を聞くのでそれを元に原稿をおこし、すべて我々プロにまかせて欲しいという。その後、私のところへ請求書がくるのだそうだ。

 ずいぶんなめられた話だなと思うのにそんなに時間はいらない。気分が滅入って来るので、早々と帰っていただくことにする。私の先ほど得意満面に話した内容など関係ないのだ。本を出してやるからお金を用意しなさいという事なのだ。こんな風に作られた本も実際の本屋に並ぶだというのだから、そりゃ本屋に行っても、昔のように「立派な本」に出会うはずがない。

 本について再考する。こういう時は、やはり古典を読むに限る。経済の分野であれば、マルクス「資本論」とケインズ「雇用利子および貨幣の一般理論」は必須だ。資本主義社会の実態は何なのかという事が、おぼろげながらも感じることが出来る。最近、骨太の理論との格闘をしていないな。今からでも、もっと難解な本と格闘して、いったい世の中で起きているのは何なんだということを自分自身の力で考えてみる必要がある。でないと、いつまでたっても、評論家の思いつきに振り回され、挙げ句の果てに、何が本当か自分で判断できなくなってしまう。その前に、しっかりと学ぶことが大切だ。

 最近、きちんと本を読み、自分の活動しっかり見据えている方とお話をして、まだまだ学ばないと自分自身の依って経つところがなくなってしまうのではないかと気づかされた。年を重ねて難しい本は読めないなというのは嘘だ。私よりも年上の人が難解な大きな問いに向かうべき学ぶ姿勢に接すると、まだまだしっかり学ばないといけないと自分を戒めるのであった。

今回は、かなり柔らかいトーンになったけど、こんなのもあります。