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2010年8月23日月曜日

不安定だから、成長できる

 時代が不安定で、先が見えない。情報が錯乱していて、どれを信じたらよいのかわからない。情報整理をするための手法が次々と編み出され、目的と手段が入れ替わる。時代が、とても不安定な状況である。何かこれをやれば良いという特効薬を欲しながらも、そんなモノはあるはずがないという冷めた感覚がある。いったい、どうしたものやら。時代が、静かに沈みゆく船であっても、沈黙を貫き、他の者の離脱を待ちながら、何とか自分だけが生き残れれば良いと信じるしかないのであろうか。

 ゆえに、ポジティブな発想力や、自分を前向きにする方法に活路を見いだそうとする心理が流行している。これなども、末法思想のごとき、コーチングやヒーリングなどの手法にすがろうという気配を感じる。出版不況と言われているが、書店に並ぶ本のタイトルは、現状打破のためのノウハウや何かスピリチャルな、通常の理解を超える内容など、本当に、そこまでやらないと救われないのであろうか?皮相的な内容の本が、流行しているとなると悲観的な気分になる。もっとも、メディアの情報も浅薄なものばかりのような気がする。

 しかし、本当に不安や閉塞感は、そんなに急いで払拭しなければならないとすれば、そんなに状況が逼迫しているのだろうか。歴史を振り返っても、振り子のように反動があり、時代は続いてきた。安定した時代と不安定な時代の間を、振り子のように行ったり来たりしている。中世は、土地に縛られ、暗黒の時代だという見方もあるが、逆に安定していて、自殺者も少なく絶望感も充満していなかったという視点もある。

 大きな区分はあれども、その中で問題提起と解決がなされ、その解決に向かう中で、進歩発展が続きてきた。子供は様態がすぐに変わる場合がある。良くも悪くも、つまりは不安定だから、大きく成長できる。安定したら、成長しにくい。それは、企業や組織も同じだ。むろん、人も例外ではないのだ。私たちは、無用に不安を恐れる必要はない。その先に進歩があることを理解していれば、不安をやみくもに取り除く必要はない。底をつけば、必ず上昇に向かう。進歩や成長を信じる力は、自分を信じる力を養うことである。

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